お客様を五感で喜ばせる集団 それがけむりグループです。
けむりグループが展開するけむり、魚きんめ、和食ごしき、鮨かんてら
三茶貝介、代々木鳥松の6つのブランドでは、
どのブランドも最高の食材を最高な状態にアップデートし、
非日常ともいえる空間でお寛ぎいただけるよう思考を凝らしております。
常にお客様を喜ばせることを考え、振り返りをし実践していく。
味だけではなく、五感で「また行ってみたい」と思っていただく。
努力を惜しまない集団がけむりグループです。
創業の経緯
1982年、京都に生まれた私は父の仕事の関係で幼少期から転勤が多く、長野・金沢・岡山で育ち高校卒業と共に大学進学で東京に上京という目まぐるしい時代を過ごしました。大学四年時に不動産会社より内定を頂きましたがまさかの留年となり再び就職活動をすることに。。笑
1人だけ取り残されたような大学5年生時に、先に社会人となった友人達を見ながら本当に自分がやりたい事は何なのか?このまま普通にサラリーマンとして生きていって後悔はない人生と言えるのか?人生の最後の時に最高の人生だったと言えるのか?様々な事を自問し続け、答えは「一度きりの人生だからやりたい事をやろう」。そう決意しました。
仕事で包丁を持ったことも無かったのですが、”居酒屋で飲食するのが好き”という理由で外食産業を数社受けて一番給与の高かったグローバルダイニングに入社する事にしました。
社員からアルバイトへの降格
当時この会社には新卒で入社の場合、入社して3か月間の試用期間後に所属店舗の全スタッフによる多数決を行い正式に社員登用が決まるという制度がありました。私は19対1で降格となり新卒入社から3か月後より時給900円のアルバイトに降格となってしまいました。
自信満々で満場一致で社員賛成だろうと本気で思っていた私は人生で初の挫折を経験しました。店長も営業終了後に辞めてしまうのではないかと食事に誘うくらい心配してくれていました。しかし、私は翌日から切り替え反対した皆に「小松社員やれよ」と言われるような人間になろうと決心しました。もちろん自分に足りない所を補いこの時期に人間的にも大きく成長できたと今では思っています。
様々な困難がありましたが遂にオープン!
半年後、お客様から「知り合いが焼鳥屋始めるから話聞いてみない?」と声をかけられグローバルダイニングを退職し赤坂の焼鳥屋にて社員としてお世話になり、鶏の解体、串打ち、焼きの基礎を学びました。このころから開業に興味を持ち始め「一国一城の主」なのか、とにかく男なら一度くらいは勝負したいという気持ちで月4日の休みのうち1~2日は運送業者の倉庫内作業で日雇いのアルバイトをしながら、
焼鳥屋の給与と合わせて独立資金を貯めていきました。
いよいよ独立開業!となり京王線初台駅で開業の予定でしたが、不動産の契約2日前に大家さんの都合で契約が白紙になり、千歳烏山の物件は一番手で話を進めていたにも関わらず大手企業に取られたりと辛い思いもしましたが2008年8月19日、私が26歳の時に東京都府中市の京王線府中駅前に炭火串焼けむり(5年の定期借家契約でしたので都市開発に伴い2013年撤退)をオープン致しました。
関わる人がハッピーな人生を歩めるように
その後、町田や吉祥寺、八王子、立川と西東京を中心に展開していき中央線沿線を基盤に新宿や渋谷、三軒茶屋エリアへと店舗を展開してまいりました。また焼鳥業態で創業しましたが現在は高級焼鳥、魚和食、鮨、貝専門店と直営店11店舗とのれん分けのFC店舗6店舗の17店舗となっております。
私を信じて付いて来てくれている従業員、その家族に淋しい思いをさせないという前提で既存業態の新店舗出店や新業態も積極的に進めていく所存です。
また家庭を重視した誰もが安心できるワークライフバランスも整えつつ近い将来独立を目標に技術・資金を蓄えるという方にも対応できる制度を作っております。業界は変えられませんが株式会社けむりに関わる方には業界水準より良い待遇や環境を用意して幸せな人生を歩んでもらえるように会社を成長させていきます。私自身もそうですが会社も含め、「誰かの役に立っているのか」「世のため人の為」になっているのか?を常に自分に問いかけ、そしてそれと向き合いながら自分たちの歩幅で株式会社けむり、更には小松大地に関わる人がハッピーな人生を歩めるよう舵をきっていきたい、そう考えています。